2月 222017
 

ジョウビタキのメス。警戒心が低いのでカメラを向けても逃げないので撮りやすかった。
今日はまた冬が戻ったのかと思うくらい風が冷たかった。鳥も心なしか寒そうだった。

オスならもっと鮮やかな橙色をしているのだが…見る限り単独の様だった。スズメくらいの大きさ

9月 182016
 

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(上画像は昭和28年7月30日発行本山村誌より、撮影日は不明)

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(上画像は「兵庫県史蹟名勝天然記念物調査報告書、第2輯」大正14年5月兵庫県発行 より抜粋)

ヘボソ塚古墳はもう見ることは出来ないが、嘗て本山町岡本字マンパイというところにあったらしい
ちょうど現在の本山駅北側のダイエーの山側ということだが…

小字名マンパイ。片仮名だ

マンパイなのかマンバイなのか?この件に関してどうなのかと言うことは以前書いた通りであるが、全く不可解である

我が家にある古い地図を見てみると、これまた面白い結果が出た

 

 

oubunsha
旺文社製 昭和40年(1965)6月発行 マンパイ
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地図では手書き風文字でマンパイとなっているが、別紙索引ではマンバイとなっている

warajiya
和楽路屋 昭和40年(1965)5月発行
マンパイでもマンバイでもなくマンハイ(爆)

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ナンバー出版 昭和49年(1974)発行
活字でマンパイとなっている

図書館に置いてある地図も調べてみた。「満梅」となっているものがあった。ここまでくると訳分からなくなってしまう。(・・?)

校正には厳しい出版業界でさえこの有様である。地図以外の出版物でも上の様に大正14年発行のものはマンバイとなっている。 扁保曽塚(ヘボソ塚)を取扱った文献でも多くはマンパイと書かれているがマンバイと表記しているものもある

インターネット時代の今では「マンパイ」「マンバイ」を検索することは容易であるが、出てくる結果は期待外れのものだ。そこで、「岡本」なり「へボソ」なりを検索語に追加してやると幾つか出てくるものの答えはほんの僅かだ。
要するに早い話、へボソ塚自体が忘れられた存在なのである。
へボソ塚のあったこのあたりの地名についても住居表示が昭和48年6月に変更となったらしいが(Wikipediaによる)マンパイ(マンバイかも)の名も既に遠く忘れられた名前なのである_| ̄|○

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(上画像は本山村誌、昭和28年発行 より)

Wikipediaでも「岡本(神戸市)」の項でもマンパイとマンバイの両方が見られる
紙に活字となったものでさえ両方あるのだから無理もない。岡本公園の看板「山本梅崖」の件でもそうであった様に誤った情報はどんどん拡散されるだろう_| ̄|○

では行政的には本当のところここの地名はどうなのだろうか
兵庫県公報を見ればわかるのだろうか?…

それで…本日、中央図書館に足を運び調べて来ました
答えは、本山町岡本字マンパイでした。 まぁ想像通りでしたが…

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兵庫県公報、昭和48年6月1日
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残念ながら本山町岡本字○○○を岡本1丁目とするという表記ではなく、このラインから南このラインから東という表記のためマンパイの文字は出て来ませんでした。が、
兵庫県公報、説明用別図 ではスキャン画像では読取難いですがマンパイと書かれています。
図書館員の方が親切にも虫眼鏡を貸してくれました。図書館員の方にも見ていただきましたが「パに見えます」と言われましたが、薄く小さな文字なので確信が持てないのか「昭和30年ごろ以降の住宅地図の古いのがありますので確認しますか?」と言われるのでお願いして持って来て頂きました。あぁ、やはり間違いなくマンパイでした。大きな字なので虫眼鏡を使わずとも読み取れます。図書館員様ありがとうございました
m(_ _)m

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住居表示が変更になった当時の東灘区の広報紙、「ひがしなだ」も縮小版で図書館にはあり、書かれていた様でした。さすがにこれでは小さ過ぎて確認出来ませんが…f^_^;)

とにかく、これでマンパイと言う地名だという事がはっきりしましたが、実際にはマンバイという文字が見られるのは何故でしょうか?

岡本は嘗て梅の産地だったので、梅の名の付く地名が見られたことから、マンパイと言ってもマンバイと聞こえた?(すぐ山側には、梅林や梅ノ谷と言う小字名もある)

パの丸が、バの点々に見えた? 実際パソコンのモニターを見てもよほど大きな文字表示をしていないとパなのかバなのか分からない。ここのページもパソコンなら200%表示位に拡大して見ないとパなのかバなのか分からないだろう

_| ̄|○

印刷物でも同じ事で小さいと良く良く注意深く見ないと分からない。汚れたり、滲んだりするしねぇ…

もともと地の人はマンバイと言っていた?活字になった時に読み取り間違いした?変化した?(本山村の人口は明治より前は500人足らずだったので、岡本のさらにマンパイという地域に住んでいた人は数人だったに違いない。同じ本山村の中でも地域名をはっきり言える人の方が少なかったのではないだろうか…)

 

想像はいくらでも膨らみます。が岡本1丁目になる以前はマンパイだった様です
 
誰か岡本(神戸市)のWikipediaウィキペディアの間違った表記マンバイを修正しますかねぇ?私の中では問題解決しましたのでどうでもいいのですが…
 
あのへボソ塚の説明看板、オサパがオサパになっている誤表記もあるしねぇ…
あれも酷いねぇ。
白と黒のマーカー持って直しに行ってやろうか?? でも、直している最中に人に見られたら、いいおやじが落書きしているのかと
思われたら困るしなぁ・・・・
誰か東灘区役所に行って直すように言ってくれないか? 私は前に岡本公園の看板の誤記を指摘しているので、ここでまた看板誤記を指摘すると文句ばかり言っているおやじと思われても嫌だしなぁ・・・
誰か代わりに行って直すように言ってくれーーぃ!
 
まぁ誰しも間違いを犯すものだけどねぇ・・・・
 

 

 

この件に関してご意見はコメント欄もしくはメールにてお願い致します

9月 132016
 

大正14年(1925)5月兵庫県発刊の「兵庫県史蹟名勝天然記念物調査報告書、第2輯」の
「六、武庫郡本山村マンバイのヘボソ塚古墳(Page.57-Page.68)」を読んでみると、当時の土地の所有者である長尾良吉氏の話によると、此の塚には金の鶏を埋めたりという伝説があり、元の所有者(宮城岩次郎氏? 本山村誌によると明治30年岡本村は拂下を得て宮城岩次郎氏に売却したとある。のちに長尾良吉氏に転売した)が、明治28年に土地の周囲を掘られるのを防ぐため石垣を造ったが、これを施工する石工等が勝手に塚の上部に穴を開け副葬品を持って行って秘蔵または売却してしまった。この事を知った土地の所有者が遺物が散失してしまうのを惜しんで、自費で買い集め東京帝宝博物館(現東京国立博物館)に寄贈したとある。
なるほど・・それでヘボソの出土品は東京に行ってしまったのか_| ̄|○

今、現物を見る事は出来ないが東京国立博物館が所蔵品の一部を画像公開しているので探してみるといくつかあった。
ヘボソで検索掛けても何故か全てが出てこなかった。出土も兵庫県神戸市本山町となっていたり・・・現在は岡本町だが確かに以前は本山町岡本字○○だったなぁ・・_| ̄|○

コレクション画像を一つ一つ調べてみた。公開されているのは以下の通り。勾玉や管類の画像は見つからなかった

お約束事なので書いておく。
画像提供:東京国立博物館

j-%e7%9f%b3%e9%87%a7c0012537
石釧
画像番号: C0012537
列品番号: J-
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区本山町ヘボンマンバィ古墳出土
時代: 古墳時代_4c
フィルムサイズ: 4×5
 

j-%e7%9f%b3%e9%87%a7c0012536
石釧
画像番号: C0012536
列品番号: J-
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区本山町ヘボンマンバィ古墳出土
時代: 古墳時代_4c
フィルムサイズ: 4×5
 

j-%e7%9f%b3%e9%87%a7c0012535
石釧
画像番号: C0012535
列品番号: J-
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区本山町ヘボンマンバィ古墳出土
時代: 古墳時代_4c
フィルムサイズ: 4×5
 

j-423%e7%9f%b3%e9%87%a7c0034559
石釧
画像番号: C0034559
列品番号: J-423
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区本山町ヘボソ塚古墳出土
時代: 古墳時代
形状: 径8.2
フィルムサイズ: 4×5
 

j-2265%e7%94%bb%e6%96%87%e5%b8%af%e7%92%b0%e7%8a%b6%e4%b9%b3%e7%a5%9e%e7%8d%a3%e9%8f%a1c0073266
画文帯環状乳神獣鏡
画像番号: C0073266
撮影部位: 鏡面
列品番号: J-2265
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区ヘボソ塚古墳出土
時代: 古墳時代_4c
形状: 径11.2
数量: 1点
フィルムサイズ: 4×5
撮影目的: 図版目録
撮影日: 2002-04-19
 

j-2265%e7%94%bb%e6%96%87%e5%b8%af%e7%92%b0%e7%8a%b6%e4%b9%b3%e7%a5%9e%e7%8d%a3%e9%8f%a1-c0045888
画文帯環状乳神獣鏡
画像番号: C0045888
列品番号: J-2265
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区ヘボソ塚古墳出土
時代: 古墳時代前期_4c
形状: 面径11.4
フィルムサイズ: 4×5
 

5.0.2 JP

三角縁唐草文帯三神二獣鏡
画像番号: C0073046
撮影部位: 鏡面
列品番号: J-2264
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区本山町ヘボソ塚古墳出土
時代: 古墳時代_4c
形状: 径21.5
数量: 1点
フィルムサイズ: 4×5
撮影目的: 平成14年度図録
撮影日: 2002-02-15
 

j-2264%e4%b8%89%e8%a7%92%e7%b8%81%e4%b8%89%e7%a5%9e%e4%b8%89%e7%8d%a3%e9%8f%a1c0045887
三角縁三神三獣鏡
画像番号: C0045887
列品番号: J-2264
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区ヘボソ塚古墳出土
時代: 古墳時代前期_4c
形状: 面径21.7
フィルムサイズ: 4×5
備考: 唐草文縁
 

4.2 JP
三角縁二神二獣鏡
画像番号: C0073475
撮影部位: 鏡面
列品番号: J-2263
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区本山町ヘボソ塚古墳出土
時代: 古墳時代_4c
形状: 径21.4
数量: 1点
フィルムサイズ: 4×5
撮影目的: 図版目録
撮影日: 2002-05-20
 

j-2263%e4%b8%89%e8%a7%92%e7%b8%81%e4%ba%8c%e7%a5%9e%e4%ba%8c%e7%8d%a3%e9%8f%a1c0045886
三角縁二神二獣鏡
画像番号: C0045886
列品番号: J-2263
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区ヘボソ塚古墳出土
時代: 古墳時代前期_4c
形状: 面径21.3
フィルムサイズ: 4×5
備考: 天王明銘
 

j-2262%e9%8f%a1%e6%ae%8b%e6%ac%a0c0075715
鏡残欠
画像番号: C0075715
撮影部位: 鏡面
列品番号: J-2262
出土・国: 兵庫県神戸市_ヘボソ古墳出土
時代: 古墳時代_4c
数量: 1点
フィルムサイズ: 4×5
撮影目的: 図版目録
撮影日: 2004-03-04
 

j-2262%e9%8f%a1%e6%ae%8b%e6%ac%a0c0075714
鏡残欠
画像番号: C0075714
撮影部位: 鏡背面
列品番号: J-2262
出土・国: 兵庫県神戸市_ヘボソ古墳出土
時代: 古墳時代_4c
数量: 1点
フィルムサイズ: 4×5
撮影目的: 図版目録
撮影日: 2004-03-04
 

j-2261%e3%82%ad%e9%b3%b3%e9%8f%a1c0075713
キ鳳鏡
画像番号: C0075713
撮影部位: 鏡面
列品番号: J-2261
出土・国: 兵庫県神戸市_ヘボソ古墳出土
時代: 古墳時代_4c
数量: 1点
フィルムサイズ: 4×5
撮影目的: 図版目録
撮影日: 2004-03-04
 

j-2261%e2%98%85%e9%b3%b3%e9%8f%a1c0045885
★鳳鏡
画像番号: C0045885
列品番号: J-2261
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区ヘボソ塚古墳出土
時代: 古墳時代前期_4c
形状: 面径15.0
フィルムサイズ: 4×5
 

j-2260%e6%96%9c%e7%b8%81%e4%ba%8c%e7%a5%9e%e4%ba%8c%e7%8d%a3%e9%8f%a1c0073178
斜縁二神二獣鏡
画像番号: C0073178
撮影部位: 鏡面
列品番号: J-2260
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区ヘボソ古墳出土
時代: 古墳時代_4c
形状: 径15.2
数量: 1点
フィルムサイズ: 4×5
撮影目的: 図版目録
撮影日: 2002-03-15
 

j-2260%e6%96%9c%e7%b8%81%e4%ba%8c%e7%a5%9e%e4%ba%8c%e7%8d%a3%e9%8f%a1c0073177
斜縁二神二獣鏡
画像番号: C0073177
撮影部位: 鏡背面
列品番号: J-2260
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区ヘボソ古墳出土
時代: 古墳時代_4c
形状: 径15.2
数量: 1点
フィルムサイズ: 4×5
撮影目的: 図版目録
撮影日: 2002-03-15
 

j-2260%e6%96%9c%e7%b8%81%e4%ba%8c%e7%a5%9e%e4%ba%8c%e7%8d%a3%e9%8f%a1c0045884
斜縁二神二獣鏡
画像番号: C0045884
列品番号: J-2260
出土・国: 兵庫県神戸市東灘区ヘボソ塚古墳出土
時代: 古墳時代前期_4c
形状: 面径15.2
フィルムサイズ: 4×5
上の画像番号:C0073177と同じものと思われるが別画像らしい
 

画像提供:東京国立博物館

9月 122016
 

pic21

この写真は大正以前のものと思われるが、阪急岡本駅西南はこんなだったのですねぇ(@_@;)

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pic24

pic25

(上画像4枚は「兵庫県史蹟名勝天然記念物調査報告書、第2輯」大正14年5月兵庫県発行 より)

兵庫県史蹟名勝天然記念物調査報告書、第2輯
六、武庫郡本山村マンバイのヘボソ塚古墳のPDF ←← こちらを左クリックすると別画面が開きパスワードを求められます。
右クリックで「対象をファイルに保存」を選択すればAdobe Acrobat Reader等閲覧ソフトでじっくり好きなように閲覧できます

閲覧にはパスワード要します。県の1925年の文章だが、著作権があるかもしれないので鍵をかけておきます。約1.26MB。ご覧になりたい方はメールもしくは右上のコメントボタンよりお気軽に問い合わせください。2次配布はしない、個人的に楽しむという事に同意いただければ、パスワードをお教えいたします。

そんなことは面倒だと言われる方は? 神戸市立中央図書館に行って閲覧してください。本は持ち出し禁止ですので、館内閲覧となります。
なお、64ページに酷い落書きがありましたが当サイト画像ではほぼ除去済みです。
1冊しかない公共の本は大切にして欲しいなぁー

(2016.9.18追記)
国立国会図書館デジタルコレクション にて画像公開されているようです
リンク先のデジタル書籍コマ番号60から70が同じものです。
「印刷する」ボタンよりPDF出力が出来るようですただし、あまり画像は鮮明ではありません
国立国会図書館デジタルコレクションリンクはこちら

9月 112016
 

hebosohi

扁保曽塚址と彫られた石碑。現在は駐車場の横に置かれている。詳しくは下の地図を見て頂きたい。ほとんど通る事のない小径なので、石碑が在るとは知らない人が多いかもしれない。

hebosop

へボソ塚説明文、「岡本のオサパに立てる・・・」はオサパではなくオサバですなぁ。間違ってますよ _| ̄|○
摂津名所図会に扁保曽墓の項に『岡本の袁佐婆(おさば)に立てる扁保曽塚、布織る人は岡本にあり』と書いてあります
まぁこんな話はどうでもいい。良くある間違いだ! とはいえ、ちゃんと校正しなさい!と言いたい…
下画像は摂津名所図会・武庫郡菟原郡。七ノ二十九の見開き左ページより
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兵庫県の史蹟名勝天然記念物調査報告書(大正14年5月)の文献の中に扁保曽塚の記事があったのでコピーを貼り付けておく

ちょっと読みづらいので、時間が出来たらPDFにでもしてみようか…

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ここにも誤りか?

このヘボソ塚は字名マンパイという所にあったらしい。が、上の文章はマンバイとなっている

マンパイが正しいのかマンバイが正しいのか?

本山村誌ではマンパイとなっていたが・・・本山村誌は昭和28年発行だし・・・

こちらは大正14年発行の物だからやはり字名はマンバイと言っていたのだろうか・・・

岡本は嘗て梅の産地だったことからやはりマンバイ=万梅 だろうか。数万樹の梅が植わっていたという話もあるので、マンバイと言っていた方が自然かもしれない

歴史家、郷土史研究家の田辺眞人氏もマンパイといっていたような・・・
また、宝積寺の和尚、鹿岳光雄さんもマンパイと言っていたような?? まぁ、マンパイでもマンバイでもどちらでもいいのだけれど本当はどうなのだろう?? 謎 もっと古い文献があれば分かるかも知れない・・・・

宿題にしておこう

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5月 252016
 

2016年5月4日(6枚)

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2016年5月22日(4枚)

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塀の外からで距離があるためなかなか実を確認し辛い_| ̄|○
特に写真では大きさを比較するものがないため分かりづらい。 あぁ中に入ってみたいところだ・・・
4日の時点ではそれほど大きいとは思われなかった。22日でも外から見てとれるのは数個にすぎないので残念ながら大きさを感じる事が出来ない。普通の南高梅程度の様に思えた。
スーパーマーケットではそろそろ梅が出回っているようだが、この梅の開花は南高梅などに比べ2週間程度遅かったことからすると重五郎梅の収穫時期は6月初旬ごろではないかと思われる。たぶん今から2週間で一回り大きくなるのではないかと思われるが・・・
6月に入っても観察してみるかな・・・

3月 132016
 

DSCN4660

我が家の白梅は既に花は落ちている。岡本公園の梅を観ると一部の紅梅種を残し、ほぼ花は終えている。明らかに重五郎梅は遅咲きのようだ。

 

DSCN4661
写真は全て昨日の重五郎梅である。
剪定は花が終わる頃から夏の手前、花芽が新梢の節にでき翌年に咲くので伸びた枝を切れば良い。短い枝はそこに花がつくのでそのままにしておくと良いだろう。
立ち枝や根元から出て来る様なひこばえは根元から切ってしまえばスッキリする

DSCN4694

ファインダー越しに見ても満開だ!

DSCN4674

DSCN4678

DSCN4695

重五郎梅を撮っていたらメジロがやって来て盛んに蜜を吸っていた。メジロは警戒心が薄いので撮りやすい。

重五郎梅は某お寺の墓所にも在るとM氏に教えてもらったので、昨日観に行って来たが、あるには在ったがあれがそうだったのかよく分からなかった。墓所内の為かなり刈り込まれていたが数輪の花をつけていた。今咲いているのでやっぱり重五郎だろう…

実が大きく育つところまで定期的に観察してみることにすか…

2月 282016
 

DSCN4479

かつて岡本に重五郎梅というこの地特産の梅があったそうな。今では殆ど見る事が出来ないが、なんと近くの本山第一小学校校庭にあることが分かり見に行ってきた。
小学校は今年140年を迎えた歴史のある学校(前身は田辺小学校、創立明治8年(1875年)12月1日)。残念ながら校庭の自由開放日ではなかったので入れなかったので外から眺める。(プール横なので校内からは近寄れないと思われるので、学校の外の踏切近くの塀越しから覗くのが最寄りでベスト)
幾輪かは開花してはいるが全体からみるとまだ先の様だ。南高梅や加賀など白梅がすでに満開なのにくらべると少々遅い感じ。

DSCN4464

重五郎梅の大きさは第一小学校のHPに画像があり、それを見てみるとその実の大きさが分かるがかなりのものだ。直径5cmくらいというから結構な大きさだ。

我が家にも梅の木があるが(もちろん重五郎梅ではない白梅、樹齢推定60年位)、数年前に採れた過去最大の1粒くらいありそうだ。(下画像は5,6年前に良く採れた時の写真)

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DSCN4473

重五郎梅についてウェブ上に正しい記事がないようなので、以前調べた話をここに書いておこう

その昔岡本の字名、東山田(現在の岡本5丁目あたり)に重五郎という者が改良と培養に心血を注ぎ、ついに大粒にして且つ美味なる実の梅を創成するに至った。以前松谷重郎兵衛さんが東山田に住んでおられ、その松谷家という豪族が梅林をもっておられたという事から、この家のご先祖さんの誰かがつくられたのだろうという事だ。

重五郎梅について面白い話があります。かつて明治25年に、魚崎の岡本藤治という人が東京に旅行した時に、鳥森の某旅館に泊まりました。そして宿の者に焼酎漬けの梅を求めました。女中が持ち来りまして「この梅は灘岡本の重五郎梅ですから、少々高うござんす」と申しまして、一粒金10銭を支払ったとの事です。その頃は白米1升78銭という頃でありましたから誠に面白い土産話であると、今に言い伝えています。因みに只今(昭和8年現在)にても重五郎梅をはじめ、その他の梅におきましても、一般市場の梅よりも遥かに高値でありまして、岡本梅と銘打ちますものは1升1円ないし2円と申しています。岡本の梅がいかに良種であり、その名声を今に留めているか分かる一端でしょう。
(昭和8年(1933年)発行 「小羅浮」鹿岳光雄著より)

 

 

(その他の関連資料)

白梅では「重五郎」紅梅にては「りんしゅう」が最上だと申す。

唐梅はこの郷の特種なるもので唐梅の名は岡本梅の代名詞という程に広く知られています…

・・・・

唐梅については別の日に語ろう・・・

 

 

DSCN4462 DSCN4469

DSCN4471

 

特徴的なものは現物を見てもなかなか捉えにくい。中輪一重 白色,淡紅色という感じか・・

開花は他に比べかなり遅いように感じる、これは一つの特徴かも。ただ、学校内の梅の為か選定が殆どされていない様に見える、枝ぶりもやたらと入り込んで密集している_| ̄|○ これも影響しているのかも・・・

我が家の梅は素人の私が剪定しているが、こちらは自然に任せている風だが・・ちょっと剪定してやりたい気分

(@_@;)

DSCN4472

2月 252016
 

Tanizaki1913Ishouan

【上画像はWikipedia より 谷崎と倚松庵(いしょうあん)】

谷崎潤一郎は東灘区や芦屋に住んで居たこともあるので、この地に住んで居ると良く聞く文豪の一人なのだけれど、俗に岡本の家と言われた梅渓庵をもう見ることが出来無いのは残念である。とはいえ、住吉川畔には倚松庵もあれば、芦屋の南の方には記念館もあるので散歩がてらに覗くこともできる環境はありがたい。さらに没後50年を過ぎたということもあり、著作権消滅の為これから続々と谷崎の作品がネット上にお目見えすることになりiPadで読むのが楽しみである。

青空文庫では既に3作を読むことができる。

青空文庫はこちら(外部リンク)

東京紅團(谷崎潤一郎散策) (外部リンク)

 

嘗て谷崎潤一郎邸には数樹の「重五郎梅」という岡本特産の梅が植わっていたそうな…
重五郎梅は岡本梅林公園には植わってはいない。何故岡本公園に植えない…
重五郎梅は岡本あたりの個人宅には植わっているらしいが、不審者と間違えられるのでじっくり覗くことは出来ない。何処かにないのかと探していたら、あらまぁ小学校の中にあるじゃないか…しかも何度も見ていた_| ̄|○
そこは谷崎潤一郎が北畑に住んで居た頃の家の裏じゃないか…

まぁそんな事はどうでもいい、次の日曜日は摂津岡本梅まつりだが岡本公園まで行かないで近くの重五郎梅でも観に行くとしようかねぇ…

2月 232016
 

岡本梅林公園の梅マップはこちらをクリック(外部リンク) 

梅図鑑はこちらをクリック(外部リンク)

岡本公園